大蔵省当局

 之に対して大蔵省当局は少しも相手にならなかった。とに角陸軍は八百万円以上の予算の第二次復活を得た。だが蔵相の所論が発表された時は、都下の主な新聞紙は揃って蔵相に拍手を送ったことを忘れてはならぬ(之に比べて陸軍の非公式声明が如何に弁解的であるかは、すでに蔽うことの出来ない感触だ)。尤もこの同じ新聞紙は、北支問題になると、一斉に軍部に拍手を送るような手つきをするのだから、全く取り止めがないのだが。蔵相は国力は疲弊するだろうと云うと軍部は「国力は進展」するだろうと云う。蔵相が「民力は疲弊して行くばかりだ」と云えば、軍部は「我国の国富の増加は近来著大」であるという。まるで食い違っているのである。併し互いに完全に食い違ったこの退嬰主義とこの進展主義とは、云わばいずれも同時に正しいのであり、或いはいずれも同時に誤っているのである。と云うのは二つは恰も、日本の資本主義そのものの二つの側面を示すものであり、その二つの側面の解くべからざる矛盾を示すものに他ならないからだ。

 十一億に垂んとする三六年度国防予算(社会政策的意味を有ったものは之に反して総額四千万円程度だ)、全予算の四割七分に相当する軍事予算の額を今後益々拡大することによって、所謂悪性インフレを惹き起こすことは、正に国力の疲弊だろう。それからその予算割あてのおかげで二十五分の一位いしか配慮されない農村(尤も政府は農民とは云わず又失業半失業労働者乃至勤労者のことはあまり考えない)の民力はたしかに疲弊するだろう。だが、逆に考えて日本の事実上の領土が海外発展することによって、日本の資本主義がたしかにそれだけ活気づくのも嘘ではない。この海外発展が軍需工業を盛大にし得ることによって、国内に於ける農村問題もインフレーション問題もおのずから旨く片づくかも知れない、と考えられないでもない。

 処が日本の資本家や政治家や資本主義的自由主義者達の多くは、一も二もなく蔵相側につくのであって、申し合わせたように軍部の資本進展主義を憎んでいるように見受けられる。恐らく夫は、ブルジョアジー・プロパーの技術的知識に対する彼等の信頼が、軍部の素人くさい大まかで皮相な観念を信用させないからであり、又意志発動の形式が、前者は理性によるに反して後者は一種の感情によるように見えるからでもあるだろう。――併し、軍部の感情と雖も、客観的な理性的根拠なしには決して発動しない。いずれも日本の現下の金融資本の客観的に必然にされた夫々の要求に答え、之を反映しているのであって、この点、蔵相も軍部も、国家国民を思う至情に於ては、甲乙あり得ないわけなのである。なぜならいずれも日本の資本制の永久を信じ又は希望することに於て全く軌を一つにするのだからである。

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