蒋介石を首班とする中国政府

 蒋介石を首班とする中国政府が、支那の資本主義化を目標としている限り、日本の資本制との間の関係は必然に右のような形で「親善」を加えねばならなくなる。列強の資本主義の対立は往々にして簡単に戦争を惹き起こした。併し日本と支那との間には、資本主義の対立は、排日行動や支那側のその取締り声明を除いては、このように着々として親善となり、共存共栄の足場を得つつあるのだ。之は日本資本主義との提携である。赤化共同防衛のレッテルも、だから必ずしも看板に佯りばかりあったわけではない。――だがこうなれば、北支の農民運動を起こした農民などが、与り知ったことではなくなる。 たしかに農民は、この日支提携によって、文明開化されるだろう。だが、この文明開化と農民が要求した自治とは、どこに一致点があるだろうか。農民は今にして、赤化防止などと自分達とを結びつけた(本当は結びつけなかったかも知れぬが)ことの愚を、覚らねばならぬ。 日本の軍部(及び外務当局)は、北支のこの自治政権の確立を擁護することに於て、極度に熱心である。この問題は云うまでもなく中国国民政府治下にぞくする他国の内政問題なのであるが、その内政自身に初めから関係のある日本にとっては、単なる人ごとではないのである。だが日本のこの隣人愛の行動を、単に日本軍部の衝動的な本能的な盲目活動だなどと考えることは、完全に誤っている。なる程軍部は国粋的で躍進的だ。だが夫は恐らく若干の個々の軍人の云わば趣味か何かのようなものに過ぎないだろう。軍全体の総意は、実はそういうものでは動き得ないのだし、又事実夫で動いてはいないのである。軍部の総体意志とでも云うべきものは常に一定の客観的な必然の要求に沿ってしか発動しない。凡て全体意志の類は、思わずも事物の客観的要求の反映なのだ。ではどういう客観的な必然性の反映なのか。

 ここで私は、一九三六年度予算編成中の出来事に一寸触れねばならぬ。高橋蔵相は予算閣議に臨んで陸海軍に夫々一千万円の予算復活を許して、もう之以上絶対に出せないと云いながら、こう語ったということだ。「世界各国は日本に対し反目し日本は全く孤立無援の状態である、……予算も国民の所得に応じて作らねばやがて国力は疲弊し、国民は塗炭の苦しみに陥り、いざ鎌倉という場合に敵国に対して応戦は出来ない、……殊に最近のわが国内の情勢は、年々災害を重ね民力は疲弊して行くばかりではなく、社会政策的施設等につき多大の考慮を要する時であるから、軍部は充分反省されるべきではないかと思う。今日の軍部に対しては言論機関も、云いたいことをいえないし、財界人も『これは困った事態だ』と思いながらも何もいい得ない。……これ以上軍部が無理押しをすればおそらく国民の怨嗟の府となるだろう。……各国とも決して日本に対し挑戦して来るものではないと思う。よって徒らに外国を刺激するが如きことは慎むべきである」云々、というのだ(『東日』一九三五年十一月二十七日付)。

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