「ロシア側の宣伝的態度」

 外務省当局は、云うまでもなくこの「ロシア側の宣伝的態度」に不満で、第一に事実を虚構するものであり、第二に広田――ユレニエフ――国境問題委員会案を無視したものだ、と言っている。ソヴェート側が日本側の虚をついたように見えるこの抗議は、外国の外交関係者の見る所では、国境撤兵交渉に対するソヴェート側の牽制策ではないかと観察された。――果して当時のモスコーからの情報によれば、国境委員会設定の件に就き、ソヴェート政府に於て応諾の色があると報じられた。之によって撤兵問題が或る程度まで具体化することになれば、北満鉄道問題解決以来の「日ソ親善」の実が挙がることになっただろう。 処が之は単に外務省式な見透しであって、関東軍が現地的に幅を利かせている満州国自身にとっては、すぐ様そうは行かぬらしかった。同国の外交部は、話を逆に持って行ってソヴェート軍が撤退しない限り国境委員会設置には同じ難いという意味を言明している。と角広田円滑外交に基くものは、北鉄買収問題と云い、支那公使昇格問題と云い、満州国の興味からやるようだが、之は何かに魅入られている結果だと思えば解釈がつく。――処が又広田対ソ外交にとって不利なことは、日ソ漁業関係でソヴェート側がいつも条約無視をやっているということなのである。当時の話ではカムチャツカ東海岸の某地方にソヴェート政府国営の漁区が三つ設定されたという報道だが、漁区の設定は日ソ両国の会議によることになっていて、このソヴェートの三漁区の設定は明らかに条約違反になるという農林省の解釈[#「解釈」に傍点]であった。同省は外務省と協議の上、ソヴェート・ロシアに対して厳重に反省を求める意向を示した。だが漁業問題の解釈のためにだってすぐ日本の駆逐艦がやって来るのを見ても、不敬事件と同じで、矢張り直接軍部に関係しなければ話しはおさまらないのだ。 さて以上見て来たようなトラブルスは、是が非でも膨張しなければならぬ日本としては、或いはその膨張を同じく合理化させねばならぬ日本としては当然、我慢しなければならぬ処のものであった。だがただのトラブルスならば我慢するのは大したことではなく、単に心懸けの問題に帰着するかも知れないが、そのトラブルスが同時に非常に金のかかる(十二三億円から十六七億円もかかる)困難だとすると、夫は容易ならぬ困難だと云わねばなるまい。日本はその膨張のために、或いはその膨張の合理化のために、今やこの到底普通の民族では忍び得ないような困難を忍んで来ているのである。ソヴェート・ロシアは割合明朗な気持ちで、洒脱に戦機を逸脱して肩をすかしてやって来たらしいが、中国の国民になるともはや決してそのような楽な気持ちではなかった。身をかわすにさえも膏汗がにじみ出たのである。処が日本の国民も亦、同様にこの到底忍ぶべからざる困難に耐え忍んで来たのである。して見ればつまり、日支国民はお互い様ということになるのである。しかしそれにも拘らず日本帝国そのものは膨張して行くのであり、中華民国そのものは萎縮して行くようでもあるのである。――之が日本華かなりし一九三五年の大陸の風景であった。 尤もあまりの困難に耐えかねて、時々不吉なうめき声を出す不心得な日本人がないではない。併しそんな女々しいうめき声は甚だ豪勢な怒号で一たまりもなく吹き消されて了う。当時東京の某大新聞記者町田梓楼氏は、市内の数カ所と信州の教育会とで「非常時日本の姿」について講演したが、在郷軍人会は之を反軍思想で赤化宣伝だと云って大声で怒号し始めた。該新聞社に町田罷免を迫ったり紙上謝罪を要求したり、果ては該新聞紙不買同盟を決議したりした在郷軍人分会や右翼政党もあるらしい。町田氏は在郷軍人会側の誤解を解くべく心境を吐露した文章によって、日本の対外的活動に対して何故諸外国から文句をつけられるのか、ということの冷静な科学的な認識こそは、困難を出来るだけ少なくして国運の発展を円滑ならしめるものだ、と説いたのである。

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