北支問題

 一体北支問題は、広田対支外交に基いて日支経済提携が成り立ちそうになった丁度その時に、不幸にして突発したものだった。吾々は折角出来かけた東洋平和の基礎が、際どい処で覆されたと思って失望したのだが、併し雨降って地固るの喩えもある通り、外務省式の二階から目薬的な日支親善の代りに、北支事件の結果成功しそうに見えたものは、もっと手近かの「北支経済援助」だったのである。一般的な日支親善の代りに、北支那に於ける日満経済ブロックが成り立つことになった。つまり、日満ブロックの北支進出ということだ。之が北支の例の緩衝地域の意味でもあったのだ。――だが北支問題の結果は単に北支に於ける日支親善だけではなく、夫が同時に国民党中央部の多少の勢力編成がえを伴った結果、親日派の権力の増大を来したので、一般的な日支親善の実質も亦段々物になりかけて来たと世間では見た。 これほど結構なことは、支那にとっても又とある筈はなかった。例えば今まで云わば一種未開の地であった北支那に、鉄道網が敷かれたり、製鉄、石炭、電業、電信、電話等の産業交通が愈々盛大になったり、満州国の貨幣が一律に通用したりすることによって、北支は全く文明開化されるわけだ。イギリスはこうして印度に恩沢を施した。日本はそれを更に親切な仕方でやるのだから、支那側に文句のある筈はないのである。――処が頑迷固陋の中国人は、自分の畑を他人が耕して呉れるのを、どういうわけだか余り歓迎しないのではないかと思われる。例えば当然無条件に支那側が恐縮して然るべき例の不敬事件に就いても、中国国民は必ずしも恐縮しなかったらしい。却って、この事件の責任者の公判廷には、排日宣伝ビラが貼られたり、傍聴人が被告と握手して之を激励したり、弁護人と傍聴の党員とが、計画的に騒擾を起こしたりしたのである。傍聴者達は騒擾を起こしておきながら一人として逮捕されるものがないどころか、凱歌を奏して法廷外に出て行ったというのだ。 日本側代表と日本国民自身とが同じ意見かどうかは別として、少なくとも中国に於ては所謂親日派なる中国側代表者と中国国民とは日支関係に就いてまるで別な意見をもっているらしい。すると日本は、否少なくとも日本側代表者達は、中国国民そのものとは全く別な何物かと、和平の握手をしたこととなる。すると例の北支の文明開化の聖業なども、果して中国国民(北支那はまだ中国政府の領土なのである!)にとって利益になるのかどうか当てになったものではない。現にこの北支産業開発に際して、一等痛手を蒙るものは従来の蒋介石氏の二重外交を支援する浙江財閥だと見られたが、それでは日満の助力によって北支国民大衆の大衆財閥(?)とでもいうものが支配するのかというと、そうではない。そこに支配するものはより有名なブルジョアジーとより優雅な兵備とである。自分でなくて他人が住んでいる立派な建築や、コンクリートの立派な軍用道路を見て、自分までが幸福になったと思い込む人間は、よほどの田舎者だ。中国国民が悉くこの種の田舎者でない限り、日満的パックス・ローマナ(Pax romana)、ローマの平和も、心細いものだ。

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