軍部の仕事

 併し之を軍部の仕事と思ったのは日本の迂濶な閣僚達だけではない。肝心な唐次長が、軍部の意向を聴取するために、南京へ帰京する予定を延ばして、在上海の日本武官を訪問して歩いた。特に磯谷少将は蒋介石氏直参と称される張、陳、両氏との三時間に渡る会見に於て、支那の不心得を懇々と説いたと新聞は報道している。無論こう云っただけでは軍部がこの交渉に干与していたとも云えるし、いなかったとも云えるわけだが、折衝の名義人は外務省でも、外務省の独立な折衝だと云えないことは明らかだ。軍部の監視の下に外務省が衝に当ったと云った方が正直な云い方なのである。 無論、事件については中国側に苦情のありようはない。中国側は、党部の名に於て、日本側の要求全部を容認することとなったのだが、之に対して例の磯谷少将は語っている。「今回の事件に関し中央党部はわが方の直接要求条項を逐次履行しつつあり、稍々誠意の認むべきものがあると考えるが、軍としては、有吉大使が希望条項として提示した上海市党部の撤収を事件の根本的解決策と思考し、従来の措置では未だ全的に満足することは出来ない。この実状に鑑み、中央党部が一日も早く自発的に上海市党部の撤収を断行することを期待する」と(一九三五年七月九日『東朝』紙)。だからここで明らかなように軍部は外務当局の交渉振りの監視に任じていたわけである。単なる個人の意見として、右のような言明が出来る筈はない。――それに就中注目すべき点は、党部の撤収なるものは日本の軍部否出先軍部が、北支問題でもチャハル問題でも持ち出して中国側に容認させた根本要求の一つだということなのである。だからこの点で、不敬事件に就いては、北支事件――チャハル事件――不敬事件、という具合に話しがうまく続くのである。 軍部のこの監視[#「監視」に傍点]振りは併し、上海に於ける日本人居留民にそのまま反映した。民団各路連合会では緊急会議を招集して当局(即ち外務当局)を鞭撻すべし、という意見が一時有力となり、軟弱外交(之が日本の外務省に関する伝説である)を文書で痛罵する者もあるというわけだ。併し海外に居留する日本人の動きなどは、尊重すべきものではない。現地[#「現地」に傍点]や局地[#「局地」に傍点]に眼がくれて、それに植民地根性丸出しが多いから、一般社会的な問題にすべき現象ではない。こうした云わば居留民的ショーヴィニズム[#「居留民的ショーヴィニズム」に傍点]とは関係なく日本は東洋の平和のために、忍ぶべからざる行為をも忍んで遂行したのだ、ということを忘れてはならないのだ。

— posted by id at 01:12 pm  

T: Y: ALL: Online:
Created in 0.1893 sec.

http://capital-iaap.org/