チャハル問題

 チャハル問題が一段落ついたのは六月二十五日だった。処が一週間の休憩をおいて、七月二日になると、舞台は今度は上海に移って『新生』という中国の雑誌の不敬事件なるものが発生したのである。この雑誌に不敬な文章が載って発表されたというのであるが、その文章の内容に就いては知り得ないし、又吾々庶民は知るべきでもないだろう。だがいずれにしても中国が日本ブルジョアジーの商品である日貨を排撃したり、日本にとっては一種の外国でもなくはない満州の国境を侵したりするのは、日本人としてまだしも我慢するとして、遂には不敬事件をまでも惹き起こすに至っては、もはや赦すべからざるものがあるのである。もし日本のブルジョアジーや日本の軍部の対支対策がまだ充分にかかる行為を防ぐに足りなかったためだったとすれば、恐懼の至りでなくてはならぬ。 軍部はだから、遠く満州事変や上海事変、又例の河北省問題やチャハル問題の、一貫した劇の筋書きの上から云っても、当然この問題の正面に立って働くだろう、と単純な吾々は考えたのである。処が意外にも外見上は必ずしもそうではなかったのだ。七月二日有吉大使は、外務省の回訓に基いて、唐外交次長と会見し、我が要求を明示して正式の抗議を通告した。その内容は先にも述べたような恐れ多い理由によって、必ずしも明らかではないが、併し問題は、この事件が北支問題とは多少異った特色を有っていることが明らかだという処に存する。 時の広田外相は同月五日の閣議に於て云っている、「今回の事件は先の北支停戦協定違反事件と異り、純然たる外交交渉案件である故、専ら外交当局をして折衝せしめている。従ってこの交渉に軍部が干与しているものの如く視るものがあれば、それは大きな誤解である」云々。時の林陸相自身も亦之に相槌を打って、「今度の問題は外相の云わるる通り、純然たる外交問題である故、軍部が直接積極の行動に出るべきものではない。よって東京並びに出先の軍憲に対しても、この旨を厳に訓達しておいた。従って出先軍憲の意見が新聞等に表われていても、これは聞かれる故、個人的意見を陳べたもので、軍部としての意見を代表したものではない」と云って他の閣僚の諒解を求めている。――なる程云われて見れば尤もで、この事件に限って珍しく外務省の係りであるらしい。それを他の閣僚までが軍部の仕事と思い違いしていたとすれば、対外折衝は軍部のやることだというような考えが閣僚自身の習慣になった程に、外務省側の独立行動は珍しかったからに過ぎぬだろう。

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