日本軍部が目的とした処

 日本軍部が目的とした処は、そんな独立運動などではなくて、単に全く日、満、支三国間の平和そのものにしか過ぎず、又その一部分としての北支一帯の和平に他ならぬ。つまり北支一帯に於て、一種の緩衝地区[#「緩衝地区」に傍点]とも云うべき安寧秩序の確保された地域が実現されることだけで満足するものに他ならなかった。満州国のこの方面の外郭にはすでに停戦地域[#「停戦地域」に傍点]なるものが設けられていたが、その外郭に更に緩衝地区を設けたわけである。そして夫が成功したのだ。この緩衝地区の更にその外郭が次には何という名前のものになる筈であったか、それは知らないが。 新聞によると、一九三五年六月十一日、即ち河北省問題が一段落ついた直後、軍部の天津会議なるものが催され、そこで「将来の建設的方策」については何れ後から具体的方策を進めようということに決ったそうだが、この建設的方策ということが併し、どういうことだかハッキリとは判らない。当時或る勢力が軍部と相談して北支進出を計画していたそうだから、案外そういうことが「建設」的方策のことだったかも知れない。 だがいずれにしても北支問題は一段落ついたので、之で安心だと思っていた処、翌日の六月十二日の北平からの通信によると、今度は問題は一転して察哈爾(チャハル)省に向かったというのである。河北省の悪玉であった于学忠が退いて安堵したばかりの処を、この于学忠よりももっと悪質な悪玉はチャハル省の宋哲元だということが判ったから、正直な国民はガッカリすると同時に、向っ腹が立って、八ツ当りがしたくなったのであった。が冷静に考えて見るとこう上手に幕合いの長さを計って現われるような舞台は、よほど筋書きの通った劇に違いないということに気が付く。それに気付いた人は、そこで却って段々興味を覚え始めたかも知れない。どうせ戦争になる心配なしに幕は目出たし目出たしで下りるだろうから。

 さてそこで関東軍がこの宋哲元軍を徹底的に糺弾すべく対策を協議している最中、恰も頃を見計らって、宋哲元軍は、関東軍と国民中央政府とからの警告にも拘らず、満州官吏に対して突如発砲を敢えてしたものである。が、併しこの偶然事は残念ながらこの物語りをあまり面白く展開させるには至らなかった。関東軍の土肥原少将の中国側の秦徳純氏との間の誠意ある会見によって、一、宋哲元氏はチャハル省政府主席と第二十九軍長の職を退き、二、今後省内に於ける排日行為を再発させぬ保証を与え、三、熱河省一帯地区の支那軍隊を他へ移動して同地域内には今後支那軍を駐兵させないこと、等々の覚書を交換する事になったからである。つまりチャハル省も亦、河北省と同様に緩衝地帯[#「緩衝地帯」に傍点]だということになったわけである。して見るとこの幕は第一幕のただの延長か繰り返しでしかなかったわけで、興味を有って期待していた不心得な人間達は、やや失望したかも知れないが、併しそれだけに、早く幕になったのは助かったというものである。――尤もその後、同年七月に這入ってからも、宋哲元軍は時々満州国へ不法越境しては、中国側を恐縮させたのではあるが。

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