警察に追随する一部の世間人

 尤も警察に追随する一部の世間人に云わせると、暴力団検挙は決して突然な木に竹を継いだようなものではなく、一定の連続性と必然性とを有っていると考えられるらしい。つまり左翼の方が片づいたから右翼の方に手入れをする順序になったので、それがギャング狩りに他ならぬというのである。ギャング狩りは思想警察の延長だというわけである。 だが日本の警察が右翼思想運動に対して本当に弾圧を下すなどということは、云うまでもなく嘘である。弾圧されるのは暴力団であって右翼運動ではない。右翼運動は暴力団から今日では可なりの距離に横たわっているのが事実だから、それでこそ暴力団狩りも徹底され得る条件が見出されたのである。所謂暴力団[#「暴力団」に傍点]としては主として職業的な又は趣味上の与太や不良などを数えるべきで、暴力を本当に社会的に公然と行使する連中は、暴力団やギャングには這入っておらぬ。 だがそれにも拘らず、暴力団とかギャングとかいうものをもっと広範に哲学的に理解せよというなら、そしてそうすれば右翼団体の一等過激な(右翼小児病! と呼ばれている)ものもその内に這入るというなら、話は中々面白くなって来る。無論そうした暴力団性、ギャング性、を持つものは、決して所謂暴力団乃至所謂ギャングには限らないのだからである。一体ギャング性とはどういうものなのか。 単独で暴力を振るったからと云ってギャングではない。ギャングには必ずその背景がなくてはならぬ。即ち何等かのグループがあって、それを代表した暴漢でなければギャングの資格はない。このグループは併し、云うまでもなく暴力行使を中心として形成されるグループで、例えば政友会の代議士が議会で他人をなぐった処で、政友会というグループは暴力団だということにはならぬ。之に反して院外団の壮漢が議会の入口で議員を投げ飛ばせば、その院外団はやや暴力団という概念に入れられ得る資格を世間から与えられるだろう。 広義の暴力団には暴力を行使する目的から云って色々の区別が存する。渡世稼業の唯一手段として暴力を直接に営業とするものもあれば、又一種の社会的趣味が主になっているものもある。前者が所謂暴力団のようなもので、後者が不良や与太者の類である。無論不良や与太者のこの社会的趣味もその経済上の効果と離れてはいないのだが、併し之だけではまだ暴力団の一等高等な意義が捉えられていない。広義の暴力団の最高の意義は、その暴力の行使が或る何等かのプリンシプルに基いているということにある。というのは暴力の行使が単に懐勘定上又は趣味上の理由からでなく、無論そういう理由と離れてはないが、併しそれ以上に、何等かの観念的なプリテンションに基いているとき、本格的な暴力団の資格が備わるのである。例えば強きを挫き弱きを助けるとか、社会主義のためとか、忠君愛国のためとか、いう大抵ごくステロタイプ的なプリテンションがあって、之が主張ともなり又は口実ともなって、ここにこの暴力団の暴力行使の権利づけが発見されるのである。

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