四割七分の軍備費

 処が修理を必要とするものは相当ボロボロに傷んでいるものであって、決して元通りのものにもなり得なければ、まして元より以上に良いものなどになる気づかいはない。軍部は初め農山漁村の疲弊を口を極めて絶叫したが、後にはそれどころではなく、四割七分の軍備費は日本の資本主義的打開の為には絶対必要であって、農山漁村の匡救などは、政府側で責任をもって適当に按配すればいいではないかと云い始めた。この態度に対して政府――ブルジョアジーの監視の眼は、相当にらみが利いていると見ることが出来る(例えばかつての高橋声明)が、官僚の方は之に対してどういう関係を保って行くのか、極めて不明確なのである。それも尤もで、内閣の庇護化にある官僚は、内閣から独立している軍の権能のようなものは元来有たないのだから、身分保証とか何とか云っても夫はほんの気休めで、結局はより直接にブルジョアジーとの連関に束縛されざるを得ないように出来ているからなのである。 軍部は資本側の修理伸長擁護(?)のために、敢えてブルジョアジー自身とその方針を争うことさえ出来る。或る限度まで(縦《たと》え「素人」であるにしても)軍部は資本的支配者をリードする実力を有っている。資本家政治家が健全財政とか内政重視とかいう退嬰政策を取れば、軍部は積極財政とか大陸政策とか南方政策とかいう積極方針に出ようとする。――処が官僚新官僚はもはやそれだけの実力はない。でその限り官僚は全く軍部に追随することによってしか、そのイデオロギーと社会活動との権利を享け取ることが出来ぬ。官僚が資本家や資本家関係の諸問題(争議・組合其の他)に容喙し得るのは、全く軍部という虎の威を借りてのことで、そこにおのずから、シッポをつかまれる弱点も残しているのだ。 だがそれにも拘らず日本の支配機構に於ける官僚の社会的地位、その有力さは、軍部の夫と並んで、特筆に値いするものがあるのである。無論官僚(即ち官吏群)を一つの社会層の問題として見れば、夫は要するに平均すると中間層であり小市民に準ずべきものにすぎないが、今吾々が問題にしているのは、そういう社会層[#「社会層」に傍点]のことではない。この社会層にぞくする官僚が、国家の支配機構に於て支配機関[#「支配機関」に傍点]と結合している時の社会的役割が、今云う官僚の社会的地位、その有力さの謂だ。一社会層として見れば軍部(将校群)と雖も平均すれば大体に於て中間層を出でない。処がそのことと軍部の支配機構に於ける地位乃至有力さとは別だ。

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