普通新官僚と呼ばれているもの

 普通新官僚と呼ばれているものは、主として内務省畑の官吏群の一部(夫に司法省・外務省のも加えて)であり、従って文官にぞくするもののことであるが、併し片手落ちなく云えば、武官であってもその急進的な分子は、丁度文官新官僚が旧官僚に対して占めると同様な内部的地位を他の武官群に対して持っている。ここにも一種の新官僚があるのである。ただ武官群(即ち軍部だが)が全体としてとも角、直接統帥の大権に基く武断的命令系統をもっているために、この急進的な分子とそうでない分子との内部的対立は、全く内部的なものに止まっていて、外部にはその対立の結果を産み出さない建前なので、文官における新官僚群ほどに独自の行動単位の姿を取っては、世間の眼の前に現われないまでなのだ。 だが云うまでもなく、新官僚と軍部の急進分子とは、そのイデオロギーから見れば略々同一方向、同一程度の内容を有っており、従って又その社会的活動の役割から見ても、方面こそ違え、略々同一の方針を追求しつつあると云わねばならぬ。世間では往々軍部と政府との一種の対立に甚大な興味を懐くが、無論それは誤りではなくて、軍事予算と高橋的健全財政などとの関係は、全予算の上に数量上矛盾を結果しなければならず、そこに日本の資本主義社会の矛盾の官庁的な一表現を見ねばならぬのだが、併し政府はそのまま官僚的なものでないことも忘れてはならぬ。つまり政府と軍部との一種の対立は、必ずしも官僚と軍部との対立ではなく、まして新官僚と軍部急進分子との対立というようなものと関係はないのである。この意味に於て、日本の現在の官吏(文官官僚――その尖端が新官僚)と軍部武官とは、社会的に略々同一の意義を有った部署についているということを、まず注意しなければならぬ。 従って彼等現代的官僚と軍部とは、ブルジョアジーやブルジョア政治家に向かっても、又無産勤労者・労働者・農民に向かっても、発端に於てはお互いに略々同一の態度を取らざるを得ない。一方に於てはブルジョアジーやブルジョア政治家の堕落と横暴とを叫び、他方に於ては無産者をより以上、社会的に問題にせねばならぬと叫ぶ。軍部のかつての国防パンフレットは一部の社会からは、だから国家社会主義・国家的統制経済・の提唱だと云って買い被られたものだったが、新官僚達による例の皇道主義的労働組合設立振りと云い、帝人事件にからむ「司法省ファッショ化」と云い、「外務省人事刷新」と云い其の他其の他と云い、いずれも同一線上を辿るものであることは今更云うまでもない。――ではどんな線を辿るのか。曰く「皇道主義」・「純正日本主義」・つまり資本家地主を或る程度まで凹まし、労働者農民を多少持ち上げそうに見せかけて、二つを一つのものに協調させ、かくてその間に資本主義を何とか修理しようというのが、意識するとしないに拘らず、官僚と軍部との一貫した糸筋なのである。

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